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救援活動 報告

A  Relief  Operation
2006年12月20日

 右写真のとおり、学校周囲の外塀と警備棟がほぼ完成しました。警備棟は津波以前はなかったのですが、校長の希望により作ることになりました。門の脇にそのための棟を作ったので、警備員が駐在することができます。

 現在、レンガで積んだ壁にプラスターを塗り、さらにその上に黄色いペンキを塗った状態です。ほぼ完成しました。予定では道路側の外塀に、子供たちに絵を描いてもらいます。

 津波後、フランスのNGO団体がこの学校の子供たちに絵を描いてもらい、その絵をフランスで展示販売し義援金を集め、寄付しました。その縁から、年明け(スリランカでは1月が新学年のスタートです)にNGOの指導のもと、子供たちが絵を描き始める予定になっています。

道路から見た外塀(正門)


校舎から見た外塀(正門)
11月21日

 前回から3週間ぶりですが、正面の壁がだいぶ出来上がってきました。強度を高めるため、ブロックではなくレンガを使い、しかも二重に重ねていきます。

 写真は砂とセメントを混ぜ水を加え、セメントを作っているところ。これでレンガを積み重ねていきます。

道路側から見た外塀
10月31日

 1ヶ月前に始まった塀作り。ようやく基礎部分ができあがりました。もし再度津波がきてもある程度防げるようにと、以前よりもしっかりとした基礎を作りました。

 今月は雨季で雨が多かったため、思うように作業がはかどりませんでしたが、まもなく乾季に入ります。今後はブロックを積み上げていきます。

→材料となる砂利

基礎作りは終了
2005年10月4日

 津波から約9ヶ月。ようやく再建支援を約束していたスッダルマ・マハー・ヴィジャーレ校(ゴール)の工事が始まりました。校舎はGUS(イタリアのNGO団体)が支援し、私たちは門、守衛所を含む塀を受け持つことになりました。この学校は、車の往来が激しい道路沿いにあるため、子どもたちの安全のためにもなるべく早く塀を作る必要があります。10月3日に「鍬入れ」の儀式を行い、滞りなく工事がすすむよう祈願し、工事が始まりました。

 私がお預かりしていた義援金の残り(Rs401,136)は、9月23日に浅見上人にお渡し、浅見上人のもとに集まっている義援金と一緒に再建費用として使っていただきます。
 工事をすべて業者に任せてしまうと、手抜き工事をしたり、材料を安くあげるため悪い品質のものを使ったりする恐れがあるため、材料の手配、作業員の手配などを浅見上人が管理して進める予定です。浅見上人は、同じように作業員を使ってアンパーラ、ゴールに仏舎利塔を建てており、スリランカの工事について良く知っていらっしゃいます。

 工事のようすは、順次お伝えします。
10月3日 クワ入れの儀式

 工事の安全と滞りなく進むよう祈願し、「クワ入れ」の儀式をしました。校長先生をはじめとする学校関係者とGUSのスタッフが同席し、浅見上人先導のもと行いました。

→関係者がクワを入れる


まずは残っている土台を取り除き、
穴を掘る
9月23日 学校再建決まる

 海岸近くにあるため、再建計画が進まなかったスッダルマ校ですが、ようやくゴール市の了解が取れました。GUSという、イタリアのNGOグループとともに学校の再建を援助します。GUSが校舎の再建、私たちが正門、守衛所、塀をつくることになりました。

 スッダルマ校は、往来の激しいゴールロードに面し、道路の向こうはすぐ海です。子どもたちが道路に飛び出してしまうと危ないため、正面の道路は早急に作る必要があります。また、もし津波が再度きたときに、ある程度持ちこたえられるよう通常よりも強度の高い、しっかりとした塀を作るようゴール市からの依頼がありました(設計図はゴール市承認のもとに作られました)。

↑道路側から撮影。仮の門が設置されているが、塀は壊れたままの状態

↓校舎側から撮影。敷地はゴールロードに面し、その向こうは海

2005年7月29日

 救援活動のご報告が大変遅くなりまして、申し訳ありませんでした。

 こういった救援活動の経験がまったくない私にとっては、この活動でいいのかという自問自答の毎日でした。救援活動のエリアをヒッカドゥワ、ゴールとしましたが、その中にはたくさんの避難キャンプがあります。どこを救援の対象としたらいいのか。いろいろなキャンプをたずね、避難者の話を聞くにつれ、不公平にみえる救援は、かえってキャンプ内の和を乱し、問題を引き起こす可能性があることもわかりました。実情を知れば知るほど、「物をあげる」ことの難しさがわかりました。結果として、お預かりした義援金のほとんどを公共性の高い、学校の再建費用にさせていただこうとしています。

 学校が海岸近くにあったため、同じ場所に再建するのか、他の場所に移すのかがまだ決まっていません。政府の方針が決まりしだい、工事にとりかかる予定です。もう少し時間がかかるかもしれませんが、動き出し次第ご報告させていただきますので、よろしくお願いします。
7月25日 トイレ完成

 ▼必要な材料を手配し、トイレを作り始めました。キャンプ内には作れる人がいなかったので、専門の大工さんに頼みました。まずは、砂とセメントを混ぜ、ブロックを積み上げ、壁を作っていきます。

▼屋根を取り付けた後、便器から汚水をためるタンクまで穴を掘り、パイプを通します。便器を取り付ける場所を決め、コンクリートを流します。そしてドアを取り付け、トイレ部分は出来上がりです。

▼続いて、汚水タンクを作ります。大きく穴を掘ってシリンダーを置き、少しずつ深く掘っていきます。そして、汚水タンクにかぶせる蓋をコンクリートで作って完成です。大工さんが他にも仕事を持っていたので、毎日来ることができず、1週間かかりました。



▼左写真は、完成したトイレです。まだ蓋のコンクリートが乾いていないのですが、完全に乾いたら、汚水タンクに蓋をします。そうして使えるようになります。



《用意した材料》
ブロック・セメント・砂・小石・便器・シリンダー・屋根、ドアのシート・木材(ドア・屋根の柱)・パイプ・クギ、針金、ドアの留め具など



まずはブロックを積み、トイレの壁を作る。もちろんすべて手作業




もうひとつのトイレ。ここはもともとトイレがあった場所だが、津波によって完全に壊されていた。瓦礫を片付け、もう一度穴を掘り、便器を取り付け、壁、屋根を作った
7月15日 トイレを作る2

 以前、トイレを寄付したキャンプから、「トイレが足りないので作って欲しい」と連絡がありました。

 キャンプは、ヒッカドゥワから北へ1キロほどの距離にあります。列車事故のあったテルワッタの近くです。この辺りはゴールロードを挟んで海が目の前にあるため、津波の被害が大きく、ほとんどの家が全壊、もしくは半壊しています。

 津波直後は、17世帯がテントをはり、キャンプ生活をしていましたが、デンマークのNGOの支援によって、木材の仮設住宅が建てられました。水や電気の供給面から、なるべくキャンプをまとめたほうが良いという政府の方針のため、他のキャンプの人が移ってきたので、28世帯と避難世帯が増えました。

お昼ご飯を食べていた子ども。スリランカでは2〜3種類のカレーを食べるのが普通だが、ご飯と魚のフライのみだった
 しかし、トイレは増設されず、2つのトイレを全世帯が共同で使うという状態が続いていました。避難者の強い希望により、2つの新しいトイレを寄付することにしました。

 以前は、とりあえずの避難生活の間だけだからと、トタン板で囲っただけの簡単なトイレを作ったのですが、現在すでに半年以上が過ぎています。今回は、「他の場所に移動するのはいつになるかわからない。もしかしたら一生ここで生活しなければならない。だから長い期間使えるトイレを作ってほしい」と言われました。そのため、壁はきちんとブロックで作ることにしました。また、多くの人が使うことを考え、汚水をためるタンクも大きなものを埋めることにしました。

《キャンプについて》
住所:School Road, Thotagamuwa,
Hikkaduwa,
避難者:28世帯



道路を隔てて、すぐ目の前が海。洗濯物を干している空き地は、かつて家があったところ





木を貼り合わせて作った仮設住宅。雨が降ると、水が漏れてくるので困るという



*このトイレは、静岡CPIからお預かりした義援金を中心に使わせていただきました
6月14日 忘れないでほしい

 津波発生からすでに半年以上がたち、避難キャンプにはほとんど訪れる人がいません。テレビでは時折、「もっと支援を」「家を早く支給してほしい」といったプラカードをさげ、デモをする人々を映しています。津波後数ヶ月は、「○○が欲しい」「○○が足りない」といった要求が多かったのですが、最近は「内陸でもかまわない。自分の家に住みたい」という切実な願いだけです。話を聞きに行くと、「よく来てくれた。今の状況を見て、話を聞いてほしい。そして、今こうして暮らしている私たちの存在を忘れないでほしい」と言われました。「遠い日本の人々が支援をしてくれた。そして自分たちのことを気遣ってくれている」。そのことが、彼らの心の支えになっているのかもしれません。
5月18日 仮設住宅生活

 マータラから数キロ北にあるウェリガマのキャンプ。各国のNGO団体によって、仮設住宅、水道ライン、医師の往診などが支援され、現在は政府が水、電気を供給しています。

 ここのキャンプの人々は、本当に生活に疲れているように見え、活気がありませんでした。他のキャンプでは、どんなに生活が大変そうでも、笑顔があったのに。話を聞くと、「私たちはここで一生を終えることになるよ」と、人生をあきらめてしまったかのよう。やはり一番の願いは、「自分の家で落ち着いて暮らしたい」でした。


←植物を庭に植え、育てるのが好きなスリランカ人。仮設住宅の前にもたくさんの緑が


《キャンプ住所》
Gurubabila, Weligama, Matara,


子どもを中心に、ビーサン、文房具など日常使う消耗品、お湯を入れておけるポット、ランプなどを配った



キャンプリーダーに名前を呼ばれるのを待つ

*この寄付は、被災地慰問におとずれた日本人旅行者有志のかたからのものです
4月29日

 ゴールのDadella地区のキャンプで、支援についての聞きました。現在60家族が暮らすこのキャンプは、ゴール市を通して、イタリアからテント、給水タンク、トイレ建設の支援がありました。生活必需品(米、野菜、スパイスなどの食材、石けん、オイルなど)は、週一回キリスト教団体から配給されています。
 スリランカ政府からは、津波後の2ヶ月間、支援金と米の配給があっただけとのこと。今の願いとしては、一日でも早くテントではなく家に住みたい。以前のように、ロープ作り、マッシュルーム作り、酪農などの仕事をして、生活を建て直したいと言っていました。

 テントは日中は暑く、雨が降ると中まで水が入ってきてしまいます。皆これから始まる雨期を心配していました。テントの中を見せてもらうと、物が少ないことに驚きます。最低限の身の回り品しかありません。
 ここはリーダーの方がとてもしっかりした人で、物を配給する手際の良さに感心しました。家族名簿の順番に名前を呼び、該当者はサインをして配給を受ける。後で問題がおきないように、本人がいない場合は、親戚の人でも代理で受け取ることはできませんし、個人的にサポートして欲しいという手紙なども、渡してはいけないことになっています。この日3家族がいなかったのですが、残ったコンロは持って帰って欲しいと言われました。例えリーダーでも、預かってしまうと問題になるからだそうです。不公平にならないようにルールを決め、しっかり守られているため、統制のとれたキャンプでした。
4月29日 救援物資配布

 「ゴールの避難キャンプを視察したい」という日本人Sさんと一緒に訪れたキャンプで、ケラチンオイルコンロを配布しました。60家族が暮らすキャンプでは、週一回キリスト教団体から食材、ケラチンオイルの配給があります(ちなみにこのキャンプは仏教徒です)。しかし、せっかくケラチンオイルをもらっても、コンロがないので使えなかったのです。食事は、キャンプから自宅のあった場所に行き、薪を使って作っているのですが、日に何回も飲む紅茶もわざわざそこまで行かないとならないので大変だと話していました。「コンロのおかげで、キャンプで紅茶が作れる」と喜んでいました。

*この日の寄付は、Sさんによるものです


←Sさんのアイディアで、宝くじを1枚ずつ付けて渡しました。スリランカでは宝くじが人気で、日曜日をのぞく毎晩抽選が行われています。この日の賞金は200万ルピー。どうか当たりますように。1枚10ルピー

《キャンプ住所》
102B,Walauwa Watta,
Dadella, Galle
責任者 Mr. T. Snil Silva

ケラチンオイルコンロ
645→565ルピーに割引してもらう


コンロを手にした人たち
3月31日

 現在スリランカ政府は、海岸線より100m以内は建物の建設や再建を禁じています。しかし、家を失った被災者に対し、具体的にどういった支援をするか(移転先や再建費用の支給など)についてははっきりしておりません。この問題は、国会で与野党間の大論議となっていますが、まだ調整がついていません。被災者はもとの場所に家を建てたくてもできず、テント生活を強いられている状況です。

 私たちが再建を支援する予定の学校、病院がこの禁止区域内にあるため、学校側、病院側とは話がついているのですが、政府側の了解がとれない状況となっています。政府の方針が決まるまでもう少し時間がかかりそうです。
3月15日

 津波によって家が全壊、半壊した人々は、1月末より避難所であった寺院や学校から、仮設住宅やテントでの生活を始めています。ただ仮設住宅の数は十分でなく、またテントは風通しが悪いため、日中は蒸し風呂のような状態で、炎天下よりも暑く感じるほどです。水や食料の配布はされていますが、トイレの数が足りなかったり、調理をする場所がなかったりと、その生活は十分ではありません。

 スリランカ政府は、海岸から100m以内の場所に、建物を建てることを禁じているため、人々は自分たちの土地に家を再建することができません。政府は1月末に、「半年後に、内陸に新しい場所を提供する」「仮設住宅を用意する」と言っています。しかし、政府に対して、「そんなに待てない」「元の場所に住みたい」と、避難者のデモが各地で絶えません。

 政府に認定されたゴール地区の津波被災者は、政府から月に2500ルピー(約2700円)支給されます。また、家族を津波で失った場合、一人につき15000ルピー(約17000円)が見舞金として支給されるとされていますが、まだ支払われていません。

 ゴールロードを走ると、避難キャンプに世界各国、NGO団体などの旗がはためいています。実際、当てにできない政府よりも、直接的に具体的な支援をしてくれる外国人グループを頼りにしている避難者が多い状況です。しかし、この支援を得られるかどうかはまったくの運であり、あるキャンプは学校の再建、医療設備、子どもの遊び場など手厚い支援を受けているのに、その隣のキャンプはトイレすらないという状況もあります。

*コロンボ〜ゴール間は、通常どおりバス、鉄道ともに走っています。
2月23日 Peace Pagoda 落慶法要

 学校再建の救援活動にご協力いただいている、浅見上人が7年にわたり建設された仏舎利塔が完成し、落慶法要が行われました。式典には、マヒンダ・ラージャパクサ首相、ゴール選出のアマラシリ・ドダンゴダ内務大臣などの政府関係者、150余名のスリランカ人僧侶、1千人もの地元のスリランカ人が出席しました。また日本をはじめ、海外からも多くの方が来られました。

 この法要の中で、津波救援活動について紹介をしてもらいました。アメリカの子どもたちからのプレゼントを持ってきたベス・インガムさん、スリランカ人のマンジュラさんと一緒に、私も支援活動に参加する者として、壇上にあがりました。日本山僧侶の吉田行典上人が代表として、サッダルマ・マハー・ビジャーレ校の校長先生へ学校再建の支援が約束し、私のもとに集まった義援金についても報告していただきました。


■スッダルマ・マハー・ビジャーレ校
 Peace Pagodaのあるルマッサラ地区にある。1280名の在校生徒のうち、942名の生存と100名の死亡が確認されている(その他は行方不明)。また、生存生徒のうち、片親あるいは両親を亡くした子どもは54名。政府が再建を禁止している海岸から100m以内にあるため、現在再建について交渉中。

完成した Peace Pagoda


吉田上人より校長先生へ学校再建が約束される(左から2番目が私です)
2月22日 灯籠流し

 津波で亡くなった人々を弔うため、被害の大きかったゴールのMagalleで灯籠流しをしました。家族や親戚を亡くした人も参加し、灯籠に故人の名前を書き、海に流しました。

 18時頃、Peace Pagotaのある山のふもとをスタート。約1キロほどの距離ですが、途中から雨が降り出しました。このあたりは、ゴールでも津波の被害が大きかった地域で、多くの人が亡くなっています。激しい雨にもかかわらず、沿道で地元の人が待っていて、海まで一緒に歩きました。


 辺りはだんだんと薄暗くなり、読経の声が静かに響いていきます。ろうそくに火をともし、河口から海に向かって灯籠を流しました。亡くなった家族や友人を偲び、合掌しながら涙を流している人もたくさんいました。

▲灯籠は、落慶法要の参詣者のほかに、日本語学校に通うスリランカ学生などの協力で作りました。

日本山妙法寺の僧侶とともにお経を唱え、犠牲者の冥福を祈る


灯籠が海に流れていく
2月8日 トイレを作る

 ヒッカドゥワ近くの避難キャンプで、17家族がテント暮らしをしています。17というのは小さなキャンプに入ります。ここはテラワッタの近くですが、地区が違うため、テラワッタのキャンプへ支援された物は一切もらえず、医療センターやトイレも使えないとの話を聞きました。

 テラワッタは大きな列車事故があったため外国人にもその存在がよく知られています。そのため、被災後すぐに大きな外国NGOが入り、他のキャンプに比べると手厚い援助がされています(学校の再建、物資の支給、医療センター、子どものメンタルケアなど)。しかしすぐ近くにあるこのキャンプでは、同じように家族を亡くし、家がほぼ全壊という状況なのですが、援助はテント、水、食料の支給のみ。援助は、キャンプによってかなり差があるのが現状のようです。

 このキャンプの一番の問題は、トイレがないことです。人々は数百m歩いて、知り合いの家のトイレを借りに行っているのですが、やはり気兼ねするのであまり行かないようにしていると言うのです。そこで、共同トイレを男性用と女性用ということで2つ寄付することにしました。

 ひとつは新しい場所に、もうひとつはもともとトイレのあった場所を利用することになりました。壊れた便器を取り除き、パイプラインにたまった土やゴミなどを取り除きます。新しい便器を設置し、木の柱を立てトタン板で囲い、最後に屋根をかぶせてできあがり。友人やキャンプの人が協力してくれたおかげで、2日半で作業が終わりました。

《用意した材料》
セメント・砂・小石・便器・シリンダー・屋根、ドアのシート・木材(ドア・屋根の柱)・パイプ・クギ、針金、ドアの留め具など

2月3日 文房具を配る

 ヒッカドゥワの北、テラワッタ近くのキャンプで、学校に通う子どもたちに文房具(ノート、ペン、色鉛筆、筆箱、ハサミ)を配布しました。スリランカ国内、海外から、子どもたちへとたくさんの物が運ばれてきていますが、やはり配り方にばらつきがあるようです。メインロードに車を停めて、集まった子どもに渡している人もいるので、もらえるかどうかも運という感じです。

 ただ、今の状態で、どの子どもがもらって、どの子どもがもらえなかったかという選定は不可能です。文房具ならいくらもらっても役に立つと思い、その地区の子どもたち全員に配布することにしました。このキャンプには、86名の子どもがいます。この日いなかった子もいましたが、リーダーの人に残りを渡してもらうようお願いしました。
1月31日 昼食の接待

 ヒッカドゥワの北にあるテラワッタの避難所で、昼食の接待をしました。このあたりは全壊となった家が多く、避難者は寺院や学校などに身を寄せていました。ところが避難者がいると学校の授業が再開できません。政府は津波から1ヶ月がたち、避難者の自立を促す意味も含め、1月31日をもって避難所を出るよう通達しました。避難者は、他に親戚などの避難先を探すか、テントや板張りの仮設住宅へ移動するかしなくてはなりません。

 そこで避難所での最後の昼食を、ヒッカドゥワの有志が集まって接待することにしました。料理の仕込みは前日の夜から始まりました。2000人分の料理を用意するのですから、野菜の皮むきだけでも大仕事です。スリランカ人にとってはご馳走である「チキンカレー」、チキンが食べられない人のために「フィッシュカレー」の他、豆のカレーなど数種類の野菜カレー、デザートにはアイスクリームを用意しました。まだ冷蔵庫を持っている家庭が少ないスリランカでは、アイスクリームも特別な日のデザートです。今回の接待の仲間は、ほとんどがヒッカドゥワでホテルやレストランを経営する人やスタッフたち。プロのコックさんが手伝いに来てくれたので、驚くほどのスピードで仕上げていきます。

 トラックで料理を運び、テーブルを広げ用意をし始めると、人が集まってきました。皆手にプラスチックの皿を持っています。しかし、この状況で配り始めると混乱が予想されるため、このキャンプのリーダー格の人に頼み、料理は全員に十分行き渡る量があること、まずは子どもから配るので順番を待ってほしいことを伝えてもらいました。そのおかげで、「押し合いへし合い」になることなく配ることができました。どのカレーもおいしいと言われましたが、特にデザートのアイスクリームは、子どもだけでなく、大人も本当においしそうに食べていました。
*津波前後の期間はカメラが故障していたため、一部写真がありません。申し訳ありませんがどうぞご了承ください



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