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スリランカに恋して
 ひとこと日記


 スリランカ生活をひとことずつ日記につづっていきたいと思います。

 天気はヒッカドゥワの我が家周辺です。

2005年1〜5月
5月31日 晴れ
 今日で、5月も終わり。日本では明日から「衣替え」。スリランカにいると、日本の四季の良さをひしひしと感じる。たった1年の間に、あんなにも気候が変わるなんて! 旬の食べ物や季節折々の草花の香りを楽しんだり、洋服を替えたり、部屋の模様替えをしたりと、たくさんの楽しみかたがある。そう考えると、ずっと同じ季節というのはつまらないものような気がする。でもお金はかからない。服や靴が一年中同じでいいというのは、本当に楽。流行もほとんどないから、それこそ破れるまでずっと着ていられる。逆にいうと、日本のように季節に合わせて、色々なものを替えるのは、豊かだから、お金があるからできるものなのだなあと思う。
5月29日 雨
 今日は一日中雨。太陽が出ないせいか肌寒い。昨日、家作りを手伝い、レンガを2階に投げる作業をしたので、案の定、身体が筋肉痛。やはり運動不足なのだろう。フレンチオープンを見ていて、ものすごくテニスがしたくなった。一応、高校、短大とテニスクラブにいたのだ。ゴールにテニスクラブがあるといいのだが。探してみよう。
5月26日 晴れ
 コロンボにウェサック祭を見に行く。夫の家族、近所の人と総勢14名。明らかに定員オーバーでバンに乗り込み、片道2時間半かけて向かう。ウェサック祭の楽しみは、夜イルミネーションで飾られた仏教説話の絵解きボードやランタン、その通りに並ぶ屋台を見ながらそぞろ歩きをすることだろう。確かにきれいだし、面白い。でも何カ所もまわるうちに食傷気味になり、予想以上に疲れた。ブッダが訪れたという聖地、キャラニアにも足をのばし、お参りをしてきたが、境内は過度な電飾はなく、オイルランプだけだったので、やっと気分が静かになった。家に着いたのが早朝3時。スリランカに来てからというものの、遅くても1時には寝ているので、余計に疲れたのかもしれない。

ジャータカ物語の場面が描かれている
5月23日 晴れ
 久しぶりに夫の実家に遊びに行った。いつものようにバイクで行ったのだが、途中何度も停められ、お菓子やお茶の接待を受けた。ウェサック祭や来月のポソン・ポヤデーでは、仏教徒として功徳を積む行為のひとつとして、個人や有志で食べ物の接待を行うのだ。
 どの家も今夜に備え、ランタンや電球が飾られ、仏旗が掲げられている。夕方になるとお寺参りの正装である白い服を着た子どもたちが、連れだってお寺に向かう。道路沿いには、地面に木の枝をさし、その上に素焼きの器を置いてココナツオイルを注いで、火をつける。満月の光とともに、さまざまなあかりが灯され、今夜はとても明るい。

我が家のランタン Byスミット
5月22日 晴れ
 ウェサック祭を明日に控え、我が家でもランタン作りに精を出した。といっても、実際に作っているのはスミットと隣の家のチャミンダマリ。私は横で見てるだけ。庭から竹を取ってきて細く割り、骨組みを作るところから始まる。とても器用に組み立てていくのに感心! 聞けば、子どもの頃からウェサックの前になると学校で作っていたらしい。
 ヒッカドゥワの町も、ランタンや色とりどりの電球が飾られ、いつもにも増して明るい。役所や警察署までもがピカピカと輝いている。せっかくのウェサック祭。なんとか停電しないで欲しいものだ。
5月12日 晴れ
 久しぶりにコロンボに行った。やはり交通渋滞が激しい。しかもウインカーなしで車線変更してくるのでとても危ない。トゥクトゥクもバイクも多いし、突然人が横断してくるし… とてもスリランカで運転はできないと思ってしまう。
 ゴールフェイスホテルに寄る。イギリス植民地時代、1864年に建造。文句なしのコロニアルスタイル。ビーチから気持ちよい風が吹いてくる。ここは結婚式場としても有名で、この日も色とりどりのサリーを来て着飾った一団が、新郎新婦を待っていた。ホテル側が自慢するように、確かにきれいな写真が撮れるだろう。
 最近は、家作りでコスト計算ばかりしているため、ホテルなどの建物を見ると、壁の高さや屋根の作り、タイル、ドア、窓を見ると、自然と数字が浮かんでくるから恐ろしい。長さの単位をフィートで言われてもイメージがわかなかったのだが、今ではドアを見ると「高さ8フィート、幅4フィートかあ」と検討がつくようになった。スリランカで家を建てる予定の方がいらっしゃいましたら、何でも聞いてください。

ゴールフェイスホテルのテラス
5月8日 晴れ
 朝からスラブ作りが始まった。隣で作っている家だが、やっと1階部分の壁ができ、今日は1階の天井、2階の床にあたるコンクリートを作る作業。セメント150袋、砂と小石トラック15台分を使って、次々とコンクリートを作り、敷きつめていく。総勢30名近くの人夫が、手際よくバケツリレーで運んでいく。こんなときに人力のすごさを実感する。しかし、ここまで来るのに約2ヶ月。スリランカをよく知る人は「早いですね」とおっしゃるだろうが、まだまだ先は長い。今はドアと窓の枠を、どの大工さんに頼むか検討中。それだけのために何十カ所も家を見に行った。すべて自分の目で見て確認し、決めなければならないのだ。
5月5日 晴れのち雨
 夜9時すぎ、近くに住む(といっても自転車で20分)スリランカ人男性がやって来た。名前は以前聞いたが忘れてしまった。彼は独学で日本語を勉強していて、日本人がここに住んでいるという話を聞き、時々自分の書いた手紙をチェックして欲しいとやってくる。家具の輸出業をしている日本人の手紙やFaxなどの翻訳をしているらしい。話すのはあまりできないが、字はよく書けるし読める。辞書でしらべて、漢字を書いているというが、「憂鬱」なんて書いてあると思わず「私も辞書見ないと書けないや…」とつぶやいてしまう。ともかく日本語を勉強することにとても熱心な青年なのだ。「毎日ひとつずつ新しい言葉を覚えます」。素晴らしい。それくらいしないとスリランカで日本語、特に漢字を覚えていくことは難しい。夫に、彼の爪のあかを煎じて飲ませたいくらいだ。
5月3日 晴れ
 半年前から請求していた去年の9月分の電話代明細がやっと届いた。何度もコロンボのお客様センターに手紙をだし、メールを出し、Faxをし、ゴールの事務所へ抗議をしに行き、7ヶ月もかかった。明細はこちらから請求をしないともらえないのだが、よく見てみるとインターネット接続料金が割増に請求してある。スリランカテレコムは、1Unit=3.45Rsというカウント。インターネットは平日の昼間は2分=1Unit、18時〜21時は6分=1Unit、21時以降は9分=1Unitとなる。当然、私はなるべく21時以降に使うようにしているのだが、例えば2時間使ったときのカウントが、1分ずつ接続し直したようになっている。継続して使えば9分で1Unitのはずが、1分ずつカウントされ9Unitとなっている。2時間使うと、14Unit(48.3Rs)のはずだが、120Unit(414Rs)とカウントされているのだ。1ヶ月だと数千ルピーの違いになる。これには頭にきた。

 ゴールの事務所に行き抗議する。マネージャーは「これは私にも起こりうる事です。多分何かシステムで間違いがあったのでしょう」と気の毒そうに言う。毎月の明細をすべてチェックすると、同じように割増でカウントされていたので、「こんな事が組織的に行われているとしたら、大問題だと思いますが」と強い口調で言ったものの、「いいえ、単なるシステムの問題でしょう」とマネージャー。技術部門に問い合わせをするので、クレームレターを作り、明細のコピーをとって持ってきてくれという。会社のミスでも、客が必要書類を用意しなくてはならないというのがスリランカ式。電話回線をもつ会社はここだけだから絶対につぶれないもんなあ。スリランカテレコムに出資しているNTTコミュニケーションの方に、会社改革を頼みたい…
5月2日 晴れ時々雨
 ファクシミリ機を買った。マレーシア製のSHARP。23,000Rs.なり(約25,000円)。高い。スリランカの一般家庭にはまずFaxはない。オフィスで使う特別な電化製品のためか、普通の家電屋さんには置いておらず、あちこち探しやっと見つけた。インターネットが普及し始めているといっても、大会社でもメールでのやり取りはあまりしない。というか、送ってもまず返事が返ってこない。これがFaxとなると、すぐに連絡がくる。今までわざわざ近くのお店に行きFaxしてたので、とても楽になった。あとは壊れやすいので、雷に気を付けなければ。
4月26日 晴れ
 近くのジャンクションまで買い物に行った。すると周辺の家に白い旗が掲げられ、道路に沿って頭上に白い旗がいくつもはためいている。これは近くでお葬式が行われるという知らせだが、亡くなったのが私も通ったことのあるクリニックのドクターと聞いて驚いた。まだ年は40台後半くらい。毎日夕方から小さなクリニックを開いていて、温厚な人柄とあまりお金を取らないドクターだったので、近所の人からとても親しまれていたのだ。死因は心臓発作だという。スリランカでは突然亡くなる人が多い。80を過ぎても、毎日近くの井戸まで水浴びに行くという元気なお年寄りもいるが、亡くなった人の年を聞くと「まだ若いのに…」と思ってしまうことが多いのだ。スリランカの平均寿命は男性69.5・女性74.2(1991年統計)。温暖な気候とのんびりさ加減から考えると、もっと長生きができそうだが…
4月23日 晴れ
 今日はポヤデーだからか、とても静か。天気も良く、風がさわやかで気持ちいい。こんな日は読書が一番!と朝から本を広げている。昨日、家に遊びにきてくれたNさんが、日本からのお土産にと、新聞、雑誌、本を持ってきてくれたのだ。日本の新聞を読むのは本当に久しぶり。ネットで毎日ニュースは確認しているが、やはり活字でじっくり読むのとは違う。新聞で事実関係を確認し、雑誌で世相をみる。このところ話題の「ホリエモン」についてよくわかった。ホリエモン個人への興味はまったくないが、同世代の人間がここまで社会を動かすことができるのかと思うと、自分も年をとったんだなあと思う。
■もしトランクに余裕があったら、古新聞、古雑誌を持ってきていただけると嬉しいです。なによりのお土産です!
4月20日 晴れのち雨
 ヒッカドゥワの我が家にも、新年の挨拶にと来客が多かったのだが、ようやく一段落した。来客があるたび、甘いお菓子と甘い紅茶を用意するのだが、スリランカ全土ではこのお正月だけでどれくらいの砂糖が消費されているのだろうと思う。
 今日は地元のアーユルヴェーダ病院に行った。マッサージはしてくれないが、診察をしオイルや飲み薬をくれる(政府の病院なので無料!)。オイルや飲み薬を入れる空き瓶は自分で用意する。
 薬草を煮出した煎じ薬と丸薬、粉薬の3種類。もちろんまずい。しかもなぜか粉薬は甘い。スーキリ(氷砂糖)が入っているらしい。甘くて苦いのが一番飲みにくい。ドクターからは「水をたくさん飲みなさい」と言われた。アーユルヴェーダにおいては、ドーシャバランスをとるのに新陳代謝はとても大切な働きとされている。あとは「パイナップル、トマトなどの熱い食べ物は食べちゃだめ」と言われる。親戚のおばさんにもらったマンゴーもだめなそうな。やっとマンゴーの季節になったのに…残念。
4月15日 晴れ
 今日も、まだまだお正月気分。他の都市へ働きに行っている友人や親戚も村に帰ってくるので、ひっきりなしにいろんな人がやって来る。
 近所の庭では、ギャンブルが始まった。といっても、掛け金は5〜50ルピー(約4〜45円)ほどで、山羊のくるぶしの骨をサイコロのように転がして、赤く塗った面が出ると勝ちという単純なゲーム。基本的には親と挑戦者の二人できそうのだが、周りはどっちが勝つがかける。地面に掛け金であるお札やコインが投げられ、金額は少額でも盛り上がる。私も参加したが、単純な勝負だがけっこう面白い。ビギナーズラックか、私はけっこう調子が良かったが、その分夫が負けて、結局ギャンブル用にためておいたコインは全部なくなってしまった。
 お正月は、昼間からお酒をおおっぴらに飲める日でもある。といっても女性は例外なので、私はやっぱり隠れて飲む。スリランカの家庭では、お義父さんと嫁が一緒にお酒を飲むなんて考えられないのだが、夫と隣の家のおじさんも加わって新年の乾杯をした。

輪になって賭けのゆくえを見守る
4月14日 晴れ夕方雷雨
 予定通り朝5時に起き、5時23分に火をつけ、急いで出かける支度をする。夫と弟とバイクを3人乗りして、夫の実家に向かう。途中の橋から見た朝焼けはとてもきれいで、思わず写真を撮る。これが初日の出のはずだが、スリランカでは日本のように、初日の出を拝む習慣はないらしい。
 家に着くと、お義母さんがテーブルの上に、キリバットゥ(ココナツミルクで炊いたご飯)やドドル、コキス、ケーキ、バナナなどのお祝いの料理(=右写真)を並べている。テレビをつけるとお正月料理を説明している番組がやっている。そして、6時48分。皆で北の方向を向き、バナナの葉にのった一口サイズずつのキリバットゥやお菓子を食べる。スリランカで縁起がいいとされ、お祝いの行事には欠かせないキンマの葉を、お義父さん、お義母さんに渡し、足元にひざまずき合掌する。二人は「ブッド サラナイ」(ブッダのご加護を)と言ってくれる。お義父さんからは、キンマの葉に包んだ、お札とコインをもらった。まるでお年玉みたい。「一年の計は元旦にあり」のように、スリランカ人は計画こそしないが、新年に事を始めるのは縁起がいいようで、学生は本やノートを広げ、仕事をしたりする。面白いのは銀行にお金を預けること。実家の隣の家は、一室を使って銀行業務を請け負っているのだが、この日は大忙し。村中の人が、お金を預けにくるのだ。夫は、近所のよしみでなんと一番にやってもらったのこと。「今年一年、縁起がいいね」とご機嫌だった。

朝6時過ぎ。きれいな朝焼けだった


ハレの日の食べ物
4月12日 晴れ
 暑い!! 日差しはいつもとそんなに変わらないのだが、ここ数日風がない。明日からNew Year 休みに入ってしまうため、銀行は長蛇の列、お店もものすごい人混み。まさに、大晦日のスーパーの混雑と同じ。New Year 用のTシャツを買いに行った夫が、「人が多くて買えなかったよ」と手ぶらで戻ってきた。スリランカでは新年に服を新調する習慣がある。毎年のことだからわかってるはずなのに、なぜ今日買いに行くのか。私は先月末から「早めに買っておこう」と言ってたのに…
 でもここからがスリランカらしいところ。知り合いの洋服屋さんなので、店が閉まる7時過ぎに来てゆっくり選びなよと言ってくれたらしいのだ。しかも、品薄なので夕方に新しく荷物が届くとのこと。それって逆にラッキーなのかな…
 
*New Year 2005
4月14日 午前0時39分
(13日の真夜中過ぎ)

*キリバットゥ(ミルクライス)を作る時間
4月14日 午前5時23分
縁起のいい方角:北

4月10日 晴れ
 初めて「シロダーラ」を受けた。アーユルヴェーダで一番人気のある療法だが、本来は気軽に受けてみようというものではない。脳や中枢神経に働きかけるため思わぬ反応が出てしまうことがある。数日間オイルマッサージなどを受け、身体がシロダーラを受ける準備ができてからされるのが望ましい。ヘッド、フット、フェイス、全身とフルマッサージを受けていて、オイルが身体に浸透し身体の内部が温かくなり、たまった毒素が老廃物として汗や尿となって出ていくのを実感していたので、シロダーラの効果にはとても興味があった。
 まずアビヤンガ(マッサージというより全身にオイルを塗り身体に浸透させる)を受け、いよいよシロダーラ。すでに温かいオイルに包まれて、身体は少し重たく感じる。ベッドに仰向けになり、額にぽたぽたと温かいオイルが垂れてくるのがわかる。セラピストが壺をゆっくりと左右に動かし、オイルが垂れる場所を調節する。このテンポが速すぎると逆に神経がイライラしてしまったりするらしい。時間にして30分。眠らなかったので意識はあるのだが、頭の中をいろいろな映像が飛び交い何か考えていたような気がするが、気が付いたら終わっていた。頭と身体がぼーっとして重かったが、そのあとハーバルバスに浸かっていると、もやが晴れるようにすっきりしてきた。
 私はまだシロダーラ1日目だが、この効果は数日間続けて行うことでより良くあらわれるとのこと。すでに2週間以上アーユルヴェーダ療法を受けている人に聞くと、最初の数日間は身体が疲れすぎて気分が落ち着かなかったという。それが1週間が過ぎると、今まで身体にたまっていたものが出たのか、身体がすっきりとし、みるみるうちに肌がつやつやになって調子が良くなったと喜んでいた。
 う〜ん、恐るべしアーユルヴェーダ。汗がよく出るようになったり、トイレが近くなったり、新陳代謝が良くなったことを自分の身体で実感してみると、そのすごさがよくわかる。でもアーユルヴェーダにおいて大事なのは、普段どんな食事をし、どんな生活をしているかということ。それらが良ければ病気にはならないはずだとか。健康について考えさせられる良い機会になった。
■シロダーラ…アーユルヴェーダで行われる療法のひとつ。壺に入ったハーバルオイルを、少しずつ額に垂らしていく
4月8日 晴れ
 1日の日記に書いたヒナたちが巣立った。まだ羽が短く、長くは飛べないが、巣から飛び出していった。4羽のうち、3羽は次々と飛び立ち、最後に1羽が残った。なかなか飛ぶことができない。半日がたった。お母さん鳥は、残ったヒナのためにえさを運びにくる。ちょうど私が庭でお茶を飲んでいるときに、ヒナの気合いの入った「ピピピ」という声とともに、巣から近くの木へ飛び移った。まだ飛び方がひょろひょろしてて、低くしか飛べないし遅い。猫に見つかったらすぐ捕まえられてしまいそう。皆に猫やヘビなどに気を付けるように言う。
4月7日 晴れ
 ここ数日、天気が不安定で、日が射してもすぐに雨が降っていたので、洗濯できずに困っていた。今日は久しぶりの快晴。洋服だけでなく、張り切って靴も洗う。
4月3日 曇時々晴れ
 スリランカに来て「生き物パワー」を感じているが、今日は驚いた。いつも使っているプリンターのネジ穴のような小さな窪みに、巣ができていた。硬く砂を固めてあり、その壁を崩すと中に小さな幼虫がいた。犯人はハチらしい。「なんでこんなところに…」と腹が立った。わざわざ家に入ってきて、このプリンターの穴を見つけるなんて、外にもっといい場所がたくさんあるだろうに。ともかく、細い棒で巣を崩しきれいにし、その穴には脱脂綿をつめた。これでもう作れないだろう。頼むから、なるべく家の中に入ってこないでくれ〜
4月1日 曇時々雨
 今まで何度も、庭に鳥が巣を作り、卵をうんだという報告をしてきたが、ことごとく何者かに襲われ、残念ながら無事巣立ったヒナはいなかった。しかし、今度は期待できる。親鳥は家の外壁に設置してある電気のメーターが入っている箱の中に巣を作ったのだ。木でできていて、確かに巣箱にぴったり。以前、私の家に泊まったNさんが、「巣箱を作ったらどうですか」とアドバイスしてくれたことを思い出した(すみません、Nさん。忘れていたわけではないのですが、巣箱情報をまだ集めていませんでした)。
 スリランカの鳥図鑑によると、「Oriental Magpie Robin」という鳥らしい。親鳥は黒と白のコントラストが美しいのだが、ヒナはまだ真っ黒。近所の子どもたちは、ヒナを見るなり「キャタイ(みにくい)」と言って、興味をなくしていた。確かにあまりかわいくはないけど、「キャタイ」はかわいそうな言われようだ。お母さん鳥が一生懸命えさをはこんでいるので、あと数日もしたら羽も生え揃い、ピヨピヨとかわいい声を聞かせてくれると思う。

ようやく目が開き、羽も生えてきたヒナたち
3月30日 晴れ夕方から雷雨
 親戚の家で「Big Girl」パーティーがあるというので出かけた。女の子が初潮を迎えることをお祝いしてのパーティーだ。昔に比べるとだいぶ簡略化されているようだが、皆お祝い金を持って女の子を祝福し、食事をご馳走になる。歩いていけるほどの同じ村中でも、こういうときはちきんとサリーを着る。スリランカはONとOFFの服装がはっきりと分かれていて面白い。主役の女の子は、華やかなワンピースを着て、皆を出迎える。ちょっと恥ずかしそうだが、いつもより大人っぽく見える。
 こういうパーティーには、スリランカ各地に住んでいる親戚が集まるので、久しぶりに顔を合わせておしゃべりに花が咲くのだが、たくさんの人を紹介されても私にはまだどの血のつながりだかよく理解できていない。「この間の結婚式で会ったでしょ」「○○おばさんの義妹よ」などと、以前会ったような気がする人に話しかけられる。一度写真を見ながら相関関係図を作ってみようと思った。

右端が主役の女の子。お母さん、おばあちゃん、弟と。
3月29日 晴れ
 結局、心配したような大きな津波は来なかった。
 しかし、海岸沿いに住む友人は今回の騒ぎで、真剣に内陸に家を借りて住むことを考え始めた。小さな子どもが5人もいるので、もし奥さん一人のときに津波が来たら守りきれないと言うのだ。いつも明るい奥さんが、津波後、すっかり暗い表情になっている。
 今回、テレビや電話で地震を知った人が「津波がくる!」と近所に伝える形での情報だったので、海岸沿いの地域はパニック状態になり、皆何も持たず走って逃げたといった状況だったらしい。避難したお寺は人でいっぱいで、座るような場所もない。そのような状態で一晩を明かすのは、精神的にも肉体的にもとても疲れることだと思う。子どもたちへの精神的ショックも心配だ。
 今まで政府の「海岸100m以内に再建禁止令」に反対していた人々はどうするだろうか。津波が再びおきる可能性があると知っても、海岸沿いに住みたいと言うだろうか。ただどちらにしても、今の状態での人々の疲れははかりしれない。スリランカ政府には早急に対処してもらいたいのだが…
3月28日 晴れ
 23時半頃、電話のベルが鳴った。受話器を取ると、「インドネシア・スマトラ沖で大きい地震がおきたので、津波の恐れがある」という日本からの電話だった。前回の津波が発生した時間から予測すると、スリランカには30分後に到達することになる。急いで弟たちを起こし、テレビをつける。BBCニュースが繰り返しマグネチュード8.5の地震がおきたことを告げていた。
 家中の電気をつけ、ドアを開けたが、外はいつも通りの静けさ。なんの警報もない。電話回線はすでにパンクしているらしく、電話を受けることはできるがかけられない。ツアー中で、キャンディにいる夫に電話したいがつながらない。
 ともかく近所に地震があったことを連絡して回り、ビーチ沿いに住む友人たちに伝えるため、弟たちはバイクで出かけた。日本ではすでにニュースで流れているようで、いろんな人から電話をもらう。この頃、夫からも電話があった。キャンディでは皆ニュースなどで知っていて心配しているという。

 ビーチ沿いに住む友人宅に行っていた弟たちが帰ってきた。ビーチ沿いではすでに口伝えで情報が伝わり、皆お寺などに避難しているという。
 スリランカニュースでは、スリランカ時間22:10に地震がおきたこと、ビーチエリアの人は内陸に避難するよう呼びかけている。しかし、私の家がビーチから1キロほど内陸にあるためか、警察などによる呼びかけや警報などはない。
 津波がくるかと緊張した0:10が無事過ぎ、テレビニュースによるとインドネシアでも津波はきていないらしい。これならスリランカも大丈夫だろうと少し安心する。現在01:30。もう少し様子を見て寝ることにしよう。
▼日本のたくさんの方から、地震についてお電話をいただきました。本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
3月26日 晴れ
 ここ最近雨が降っていない。そのせいかとても暑い。
 急に、アーユルヴェーダの講義の日本語通訳をすることになり、ここ1週間、朝から晩までドクターから講義を受けていた。英語の語彙の少なさもさることながら、アーユルヴェーダの知識がほとんどなかったので、まさに猛勉強。「昔、生物の授業で習ったような…」ことを必死で思い出しながらの勉強だった。
 今日がその講義の1日目。45分のレクチャーと30分のデモンストレーションだけだが、緊張していたためかどっと疲れた。これが2週間続く。
 スリランカでは、普段から自然と一緒に生活しているという感覚なので、アーユルヴェーダはとても身近なものだ。今回、きちんとドクターから基礎を教えていただいて、とても興味がわいた。時間ができたら、アーユルヴェーダのページを作ります。
 
3月11日 晴れ
 今日は家を作り始める最初の日。もちろん、Auspicious Day。スリランカで何か物事を始めるときには、縁起のいいAuspicious Dayを選ぶ。そして、星占いで有名なお坊さんに、細かい時間を決めてもらった。午前10時40分…コードを張る、10時56分…クワ入れ、11時10分…石を置く。普段はあまり時間にこだわらないスリランカ人が、この時は数分前になるとスタンバイし、皆で腕時計を見ながら正確にその時間を守るのがおかしい。これらの儀式は、すべて北の方角を向いてするのも縁起が関係しているらしい。
 ともかく家作りが始まった。

「石を置く儀式」に使う石。中にはスパイス、金銀などを入れる
3月10日 晴れ
 今週、来週と立て続けにラジオ番組に出ることになった。きっかけはこのホームページとのこと。改めていろいろな方に見ていただいているのだなあと思う。
 ここ数日、お義母さんが家に泊まっているので、カレー作りを習っている。日本から来た私の友人は、「今までいろんな国で食べたどのカレーより、お義母さんのカレーが美味しい。特にダルカレー♪」と言って、なるべくたくさん食べられるよう水も飲まずに食べ、お腹いっぱいになり始めると、身体を左右にゆすって胃から腸に押し出すんだと言いながらもさらに食べたほど。そのカレーを教えてもらってるのだが、ひとつ気付いたこと。美味しいカレーの作り方の秘訣は、「ハンドパワー」じゃないかということ。ひとつひとつ丁寧に手や指を使って、絞ったり、混ぜたりしていく。時間がかかるというのはたいした問題ではないのだ。とにかく手抜きをしない。時間を手間をかければ、美味しい料理が出来上がるのだ。
▼時間がある方はどうぞ聴いてみてください

3月12日(土)午後6時頃〜
NHKラジオ「地球ラジオ」

http://www.nhk.or.jp/gr/

3月15日(火)午後1時頃〜
文化放送「吉田照美のやる気MANMAN」
http://www.joqr.co.jp/yaruman/
3月9日 晴れ
 朝6時近くにベットに入ったというのに、8時半には起こされた。時差ぼけのようなだるさが一日中消えなかったが、やることはたくさんある。スリランカにいると、日本とは別の種類の忙しさがある。
 ゴールの浅見上人から電話をいただいた。津波救援活動の細かい話が中断していたのだが、来週政府関係者の話を聞くことになった。政府がビーチ近くの場所に建物を再建してはいけないと言っているのと、学校や病院は政府の管轄になるので、私たちが支援をして建て直すと言っても、政府の了解をとらなければならない。そのやり取りに時間がかかっている。
 義援金を送ってくださった方、もう少しお待ちください。詳細が決まり次第ご報告させていただきます。

庭でひなたぼっこ中のトカゲ
3月8日 晴れ
 今日は夜を徹しての「バヒラワ プージャ」を行った。今住んでいる隣の土地に、新しく家を建てることになり、それに先だっての日本の地鎮祭のような儀式。何十種類もの野菜や果物、お菓子などのお供物や祭壇の材料となるココヤシ、バナナ、蓮などの葉や茎、それにプージャを執り行うためのさまざまなものを用意しなくてはならないので、朝からてんてこ舞いだった。
 実際のプージャは夜9時頃の始まり、朝5時半に無事終了した。そのときどきに、祭司の言うとおりにオイルランプを灯したり、マントラを唱えたり。久しぶりの徹夜にふらふらになった。

プージャに使われた祭壇
3月6日 晴れ 日中激しい雷雨
 日曜日はだいたい来客が多いのだが、今日は特別に人の出入りが激しかった。紅茶を出してばっかりいた気がする。すっかりスリランカ人好みの甘さの紅茶を作れるようになっている。砂糖があっという間に減ったが、最近は必ず砂糖を買い置きをしておくことにしているので心配ない。以前に、ちょうど砂糖が切れてしまったときに来客があり、慌てて買いに走ったことがある。「砂糖ぐらい…」と思うが、スリランカでは砂糖がとっても大事なのだ。
3月5日 晴れ
 最近よくアイスクリームを食べている。普段は滅多に買わないのだが、お客様が来るときにはデザートに用意することもある。スリランカの人は、子どもだけでなく、みんなアイスクリームが大好き。そのせいかいろいろな種類のものが出ている。その中でお気に入りのブランドは、「Elephant House」。他のより少し値段が高いのだが、人工的な味付けじゃなくて本物の味がする。1リットルで200RS前後。マンゴーやストロベリーが美味しい。暇なときは干しぶどうを買ってきてラムに漬けておき、バニラに混ぜてラムレーズン味を作ったりもしている。バニラやチョコレート味に、アラックをちょっとかけても美味しい。この間、このブランドからコーヒー味が出ているのを発見した。この次に試してみよう。

3月3日 晴れ
 今日は桃の節句。日本はだいぶ春めいてきているのだろうか。こちらは相変わらずの快晴が続いている。ここしばらく、電話回線が調子悪く、なかなかつながらなかったので、日記の更新も滞っていたが、やっと復旧した。これから少しずつ、書き足していきます。
 そういえば、以前この日記で「壊れた!」と書いたデジタルカメラだが、無事日本で修理され、手元に戻ってきた。購入してからすでに3年近くたっていたのだが、無料で修理してもらえた。自分でも忘れていたのだが、購入時になんと「5年保証」を付けていたのだ。保証書を見つけたときには、思わず「やったあ」と叫んでしまった。なんだかとっても得した気分♪ 
 デジカメがない生活がいかに不便か思い知ったので、もっと大切に使おうと心に誓った。


アイスクリームの空箱。いろいろな味の種類があり美味しい。

3月1日 晴れ
 コロンボにある、おそらくスリランカ一設備のいい病院であろう「アポロ病院」に行った。体調が悪かったので、検査をしてもらったのだが、その対応の良さに驚いた。まず電話で予約を入れる。簡単に症状を説明し、診察の予約を取ってもらう。その際に担当の医者の名前を聞いておく。私は初めてだったので、予約時間の30分前に来るように言われた。
 エアコンが効いた院内に入ると、すぐ受付カウンターがある。しかしそこに行くまでもなく、案内の人に「今日は初めてですか」と声をかけられ、受付用紙をもらい説明を受ける。テーブルで記入してカウンターへ持っていくとその場で登録し、私用とドクター用のファイルを渡される。
 次に会計でドクターの名前を言って診察料を支払う。そして目的の科に向かい、そこでの受付を済ませると、時間どおりに名前を呼ばれ診察室に入った。診察が終わり、説明を受け、とりあえずX-線と超音波での検査を受けることに。別の棟の検査科に向かい、そこでも受付をすませ検査の予約をとった。最初は明日以降じゃないと空いていないといわれたが、片道3時間かけてヒッカドゥワから来ていることを言うと、今日やってくれることになった。
 検査をすませ、結果のレポートができるまでしばらく待たされたが、その日中にレポートをもらい、再び診察してくれたドクターに見せ、説明を受けることができた。
 他の私立病院に比べても、診察費、検査費などは高い。しかし、時間通りに診察を受けることができ、満足にいく設備で治療を受けられるのだったら、行く価値はある。幸い検査は異常がなかったのでしばらくは行くことはないだろうが、なんとなく「ここに行けばとりあえずは安心」という病院を見つけてほっとした。

*ちなみにこの日に払ったお金…初診料(登録費)250・診察費(ドクターによって若干違うよう)600・X線3100・超音波1225 《すべてルピー》



見るからに立派なアポロ病院 →HP

■予約 Tel:011-4531185
578, Alvitigala Mawatha, Colombo5(Wella wattaから141番のバスで「病院前」下車・約20分)
2月16日 晴れ
 以前、なぜか同じ日にいろいろな人からバナナをもらい、次々と熟れていくバナナを黙々と食べる日が続いたと書いたが、ここ数日、やけにケーキやアイスクリームなど甘いお菓子をいただいた。台所には店が開けるほどの種類が並んでいる。それに大喜びなのが、夫をはじめ弟やスミット。お茶の時間のために、朝食も昼食も少ししか食べない。小さな子どもと一緒で、ご飯を食べながらもお菓子に心を奪われている。

2月11日 晴れ

 友人から荷物が届き、ゴールの郵便局まで取りに行った。津波にあった子供たちに配って欲しいと、ノートや鉛筆、消しゴムなどがいっぱい入っていた。場所によっては、いくら津波の救援活動のためだといっても関税をかけられることがあると聞いていたのだが、係のおじさん達は「日本はいつも私たちを助けてくれるね」とにこにこ顔で荷物を渡してくれた。ただ中身をチェックするときに、紙風船にとても興味を示しすごく欲しそうにしていたのだが、私が「子供たちが遊べるように」と言うとあきらめたようだった。

2月9日 晴れ
 「Breief」と名付けられたBevis Bawa(建築家ジェフリー・バワのお兄さん)が設計した庭園を見にでかけた。場所はベントタから内陸へ約16km。看板が出ていないので、地元の人に聞きながら向かう。10ヘクタールもの広大な敷地に、最初からプランを作ったのではなく、思いつくままに少しずつ手を加え作られた庭園だという。バンガローには、彼の収集品や、芸術家の友人たちによる絵などがあり、小さな美術館のよう。ヨーロッパの影響を受けている彼の作品は、「不思議の国のアリス」の世界に入ってしまったような印象を受けた。こんな辺鄙なところにあるのにもかかわらず、コロンボからたくさんの人が訪れていた。
 *現在の所有者の好意で開放されているので、看板などは出ていない。(オープン:8:00〜17:00/入場料350RS)

2月8日 晴れ
 ヒッカドゥワ近くの避難キャンプで、17家族がテント暮らしをしているのにもかかわらず、トイレがないと聞いた。そこでヒッカドゥワで協力者を募り、簡易トイレを作ることにした。今日は作る場所の下見と材料の手配をする。今は作る人の手が足りないので、数週間待つことになるかもしれないといわれる。そんなには待てないので、材料を手配し、避難キャンプの人と一緒に自分たちで作ることにした。
 彼らの家はほぼ全壊。ビーチが目の前なのでその場所に再建することはならず、政府から土地が与えられるはずなのだが、それが6ヶ月先だという。配布されたテントは、普通のキャンプ用のもの。中は暑くてサウナ状態。雨が降れば水が入ってくるし、これであと半年も暮らさないといけないなんて…

2月7日 晴れ
 ピンナワラにある象の孤児院に行った。実は私は今回が初めて。親とはぐれたり、怪我をしたりした象を育てている。生後4ヶ月のパンドゥーカは、右耳がなかった。保護されたときからなかったという。それでも元気いっぱいで、ミルクを飲むようすを見ていると、近寄ってきて小さな鼻を腕に巻き付けてきたりする。すごくかわいい。昔読んだ本で、象は一度かいだにおいを忘れないと書いてあったが、パンドゥーカは大きくなっても憶えていてくれるかなと思ってみたりする。
 その後キャンディに言ったのだが、いつも外国人で込んでいるレストランもホテルもがらがらだった。従業員たちは、とりあえず交代で1ヶ月の休みを取ることになったと言ってた。津波の影響は沿岸部だけでなく、内陸部の観光地も被害を受けている。

2月4日 晴れ

 最近目が悪くなった。しかも右目だけが見えにくい。家は緑に囲まれているから、良くなるかと思っていたのに、パソコンのせいか。こちらに来て、暗闇にはだいぶ慣れ、鳥目ではなくなったのだが、画面を見ているとやたらと目が疲れるようになった。気を付けなければ… なるべく外の景色を見るようにしよう。

2月2日 晴れ

 ついに、ヒナ鳥が誕生した。実は我が家の庭には、いろいろな種類の鳥が巣を作り、卵を産み温めていたのだが、いつもヒナがかえる前に何者かに卵を取られてしまっていたので。今回が6巣目。巨大なポトスの、葉の一枚をくるっと丸め、上手に巣を作っている。鳥は、花の蜜をすうハチドリの一種。お母さん鳥も小さいから、当然ヒナも小さい。小指の先ほどの大きさ。今日で4日目だが、まだ目も開いていないし、毛も生えていない。巣立ちまでの成長が楽しみだ。


2月1日 晴れ

 早朝4時過ぎに起床。つらかった。ラジオ番組の電話インタビューに答えることになったのだが、日本時間7時半に放送なので、4時半には待機していたのだ。話題は「スリランカの津波被害と現在の復興について」。10分弱だが、サイトで聴くことができるので、興味のあるかたはどうぞ。GOOD MORNING TOKYO(J-WAVE)*画面左のJK Listend Up!をクリックしてください。
 今日はゴールに行ったのだが、自宅があった場所や空き地にテントを張って生活している人が増えた。誰の目から見ても被災者だから、そのほうが援助を受けやすいという。家が半壊し、コロンボの親戚の家に避難していた友人は、最近ゴールに戻り、自宅近くの友人の家に居候しているが、政府からの支援はまだ何もないと言っていたのとは対照的。実際に外国人から再建資金を援助された人もいる。いつになるのかわからない政府の支援を待つよりも、うまく外国からの援助を受けることができれば家を再建できるかもしれないと期待するのも当然と言える。ゴールロードから内陸に入ったところにある避難所は、道路脇に旗をかかげその存在をアピールしている。避難者がただ援助を待つだけになってはいけないが、避難者の生活とその支援の現状をみるたび難しさを痛感させられる。

1月31日 晴れ
 ヒッカドゥワの有志が集まり、Telwattaに避難する人々に料理を布施することになった。Veg.ライス、ダル、フライドポテト、チキン料理、魚料理、パパダン、アイスクリームと結婚式のメニュー並みの料理を用意した。避難生活の食事はライスとダルに、もう1,2種類の野菜カレーがつく程度。たまにはごちそうを振る舞おうという趣旨。その量1800人分!作るのも配るのも大変だったが、「おいしい!」と言ってくれる人々の笑顔を見ていると疲れも吹き飛んだ。詳細は後ほど「津波の救援活動」で報告します。

1月29日 晴れ
 今日も快晴。家中の家具を表に出し、ホースで水をかけ、窓枠や床を磨く。日本ではここまでの大掃除は大晦日くらいにしかしないが、スリランカでは1ヵ月に一度はしないと汚くて気になってしまう。専用のクリーナーで磨いた床は、すべすべして気持ちがいい。ちょうど一段落したところへ、義弟の知り合いのドイツ人父娘が遊びに来た。津波支援をしているグループの視察で、1週間ほどスリランカに滞在し、明日帰るところだという。お茶を飲みながら話をしたのだが、地震がほとんどないドイツ人にとっても、今回の津波は大ショックだったらしく、とても関心が高いという。彼らは津波の被害を受けた家族に、数年にわたって月30ユーロの支援をするという。以前その対象家族のリスト作りを手伝ったのだが、NGOのような大きな組織ではなく、数十人のグループでこうした活動をしているヨーロッパ人が多いのに驚く。

1月28日 晴れ

 またデマだった。午前10時半すぎ、なぜか外が騒がしい。誰かが叫ぶ声や人が慌ただしく走る音が聞こえる。嫌な予感がした。案の定、「津波だ」との声。学校も休校にしたようで、制服姿の子どもたちが小走りで帰ってくる。
 電話はつながらなかったが、テレビをつけてみると普通の番組をやっていて、地震や津波の情報はない。私は家で待ち、スミットが自転車で海のようすを見に行った。警察までもが「津波がくる」と言っており、人々が走る中、バスや車が先を争うように内陸の細い道に入るので大混乱。しかし、海は静かで、いつも通り変わりなかったという。
 お昼のニュースで、デマだと知った。ちょうどその時ゴールにいた夫によると、ゴールにも同じように「津波がくる」との情報が流れ、完全にパニック状態に。人々は泣き叫び大変な状況だったという。結局、誰が流したのかは不明。1ヶ月がたったとはいえ、まだ人々に鮮明に津波の恐怖が残っているのだと実感した。

1月25日 晴れ夕方スコール
 信じられないが、夫がまたカメラを壊した。以前、デジカメを落とし故障させ、日本で修理をしている最中。それなのに残る唯一のカメラである一眼レフを壊した。友人の家でピリットがあり、写真を撮ってくれといわれたらしい。私が行けば良かったのだが、夜だったし読みかけの本があったので、カメラを渡した。無理に操作レバーを回したらしく、完全に壊れている。結局一枚も撮れなかったらしい。今までの海外旅行に持っていった10年以上使った愛着のあるカメラだったのに… 果たしてスリランカで修理できるだろうか。妹が修理の終わったデジカメを持ってくるまであと2週間あまり。その間写真が撮れないと思うとがっくり。もう二度と夫にカメラは渡すまい。

1月24日 晴れ夕方スコール
 津波の日と同じポヤデーがやって来た。皆少し不安なのか、また津波がくるかもと噂している。
 友人がアームスギビングを行うというので出かける。この家は、私たちのフラワーガールをしてくれた2人の女の子の他に、2人の男の子、産まれたばかりの赤ちゃんと、小さい子どもが5人もいる大家族。海沿いの家なので、津波のときはとても心配したのだが、すぐに避難し全員無事だった。一部壊れつつも家も残った。
 それを聞いたドイツ人の友人が見舞金を贈ってくれたので、それを使っての「ツナミ・アームスギビング」だという。日本人なら、「こんなことに使うより今後の生活のためにとっておけば」と思うだろう。事実、彼がマネージャーをしていたホテルは全壊。職を失っている。でも、こんな状況だからこそ、家族全員の無事を喜び、ブッダに感謝するアームスギビングが必要なのかもしれないとも思った。 *アームスギビング

1月22日 晴れ夕方スコール
 今日、親戚のおじさんの家にお見舞いに行った。彼は内陸の村に住んでいるのだが、ゴールに仕事で行っていて津波にあい、逃げるときに流れてきたものがぶつかり足を怪我した。右足の膝下がずたずたになり、骨がかけていて、すでに6回も手術をしたという。ゴールのカラピティア病院に入院していたのだが、ベットが足らないからと、手術後追い出され、家で安静にするように言われている。しかしこのおじさん、病院に行くのにスリーウィラーはお金がかかるからと、自転車で行っているらしいのだ。普通に行っても片道20分はかかる。それを右足はギブスで固定した状態で、左足だけでこいで行くのだから、時間もかかるし体力的にもつらい。しかし、この怪我のため仕事もできず、手術や薬にお金がかかるのだが、もちろんいくら津波による被害でもなんの援助もない。
 こういった家が津波の被害を受けたわけではないが、被災地を訪れていて被害にあった人もたくさんいるだろう。他の人も不運だったとあきらめ、自分たちで何とかしているのだろうか。

1月20日 晴れ夕方スコール

 このサイトに、ときどき夫について書いているが、最近夫がそのことに気付いた。私がパソコンを打っているのを横で見ながら、読んでいることがある。一応、「ひらがな」「カタカナ」と簡単な漢字は読める。そこで「おもち」や「カエル」の単語を見つけピーンときたようだ。こういう時の勘はするどい。本人はやめてくれと言っていたが無視。スリランカ人を知ってもらうネタとして、我慢してもらおう。

1月16日 晴れ
 今日で、津波から3週間がたった。やっとヒッカドゥワの朝市も小規模ながら開かれたので、野菜を買いに行った。夫は、津波が来たことを思い出すのか、「なんだか行くのがちょっと怖いなあ」と言っていたが、もっとつらく怖い思いをした人々の精神的な苦しみを思うと心が痛む。津波に実際にあっていない私でさえ、ビーチ沿いを走っていると海がいつもと変わりがないか見てしまうのだ。


1月15日 晴れ
 ヒッカドゥワのすぐ北にあるTelwattaを通ったときのこと。なぜかやたらと車が多く、交通渋滞気味。見ると1800人もの乗客が犠牲になった列車事故現場で、海外に住むスリランカ人や津波の被害のなかった内陸から、たくさんの人が見に来ているのだ。海に沈んでいた車両も引き上げられ、津波の衝撃のすごさを残しながらも元通りに並べてある。その近くのビーチがちょうど駐車場のようになっていて、人々は車をとめ見学をしに行くのだ。当然、その付近の家々は全壊。近くの学校で450人もの人がいまだに避難生活を続けている。黙々とスコップで瓦礫を片付けている人と、カメラを持って見学しに来た人とのギャップにショックを受けた。ちなみにどうみても救援活動に来たようには見えない外国人もいた。
 しかし夫によれば、スリランカの人にとって「津波」は初めての経験。テレビの画面ではなく、実際にどうなのか自分の目で見てみたいんだろうとのこと。そうかもしれないけど、たくさんの人が亡くなった場所で記念撮影とは…

1月12日 晴れ夕方雨

 今週に入って魚が売られるようになった。道路脇に魚を並べ売っているがあまり人気はない。人々はなんとなくまだ魚を食べることを敬遠してるようだ。外務省の海外安全ページで、こんな情報を見つけた。「シガテラ中毒」に注意しましょうというもの。これは、海底の藻が津波で巻き上がり、それを食べた魚の体内に毒素がたまることがあり、その魚を人間が食べると、致死性はないが長期に渡って神経系統に異常をきたすことがある(特に温度感覚)らしい。知らなかった…

1月10日 晴れときどき曇り

 津波でどこかへいってしまっただろうと思っていた、手紙やカード、小包がどさっと届いた。中にはまだ濡れて潮の香りがするのもある。友人が送ってくれた年越しセットの中からお餅ときな粉を使って、「きな粉餅」を作った。しかし、意外なことに夫は一口食べて、「食べられない」と言う。今まで試したほとんどの日本食を美味しいと言い、一応納豆まで食べきったというのにきな粉餅が食べられないとは… きな粉はともかく、お餅が嫌らしい。しょうがない。お餅は一人で楽しむことにしよう。

1月7日 晴れ
 夜のニュースを見たら、パウエル米国務長官がゴールの視察に訪れていた。昼間、何機ものヘリコプターの爆音がしたが、きっとそれに乗っていたのだろう。ものすごい数のメディアを引き連れての来スリ。今夜、国連のアナン事務総長も到着するから、日本でもスリランカが注目されるのだろうか。相次ぐ各国からの来客に、大統領はじめ政府関係者は忙しそうだ。これだけの国の支援が集まるのだから、有効に使って欲しいと願う。

1月4日 曇りのち晴れ
 久しぶりに夫の実家を訪れる。途中の道で、見慣れない標識が立っている。明らかに手作りで、1枚の板に行き先を記した紙を貼り、濡れないようにビニールで覆ってある。津波の後、海岸沿いの道が通れなくなったので、内陸の道を走る慣れないドライバーのために、地元の人が作った即席の標識だったのだ。こんなところにも、津波の影響と地元の人の優しさを感じる。
 隣の家のおじさんは、モルディブに働きに行っていたのだが、スリランカに戻ってきていた。建物は壊れたが250人ほどの宿泊客と従業員はすべて無事だったとのこと。モルディブがスマトラ沖から離れていて何よりだった。もしスリランカほどの距離だったら、間違いなく多数の死者が出ただろう。

1月2日 曇りのち晴れ
 コロンボに勤めに行っている友達が、日曜日ということで見舞いを兼ねて遊びにくる。スリランカでは男性も話好きの人が多い。さすがに6人も集まるとピーチクパーチクと騒がしい。
 津波がおきたとき、夫は弟と朝市に野菜を買いに行っていて、停めておいたバイクを見捨て逃げて歩いて帰ってきた。その後、バイクは海水をかぶり、横倒しで泥にまみれていたが無事見つかり、きれいに洗い、パーツを交換し、修理をし、元通り走れるようになった。それもサービスステーションは閉まったままなので、友達が来て直してくれたのだ。う〜ん、すごい!手先が器用というのもあるけど、皆よくバイクの構造を知っていて、簡単なものなら自分たちで直してしまう。

1月1日 曇りときどき雨
 津波がおきてから、早くも6日目となった。我が家では、プロパンガスがなくなり、庭で薪を使って煮炊きをしていたが、やっと補給がありほっとした。これでいつでもお茶が飲める。ここヒッカドゥワでは、品薄ではあるが、野菜も店頭に並びはじめ、以前と変わらない値段で売ってくれている。ありがたい限りだ。
 津波は、程度の差はあるが、スリランカ全海岸地域に被害をもたらした。北部のジャフナも、東部のバッティカロア・アンパーラも、南部のゴールも多くの犠牲者をだした。こんな小さな国で、3万人近くの人が亡くなり、80万もの人が家を失い避難生活を強いられている。今は国民同士が対立をしているときではない。この津波を機会に、国全体がまとまり、復興に向けて頑張って欲しいと強く願う。



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